SHIKUJIRI NOTE
2021.04.15

わたしの、ダメ社員時代 Vol.2「希望の職種につけなくて、ボー然。」

ダメ社員時代 

すっかり大人になってしまった、今の目線では、自社の社員やリクルート時代の後輩、たまに出会う若手の甘えた意見に「ピシャリ」と何か言ってやりたい気になる私ですが(笑)。振り返ると、相当ヤバイ社員だったなと思う、今日この頃。今回も、ダメすぎて笑える新人時代の自分を振り返ってみたいと思います。

使い勝手が良かった、『リクルート』という社名。

リクルートを志望したのは、もちろん、ベンチャー風土や謎の情報誌ビジネスを作り出す事業創造力に惹かれていた点もあります。しかし、最もホンネに近いのは、「ここでも、広告がつくれそう。編集の仕事なんかもできる。」といったことでした。私は、いわゆるクリエィティブ志望。当時、就職活動の際には、広告や出版系を受けるときには、「第一志望群は、そうですね。電通、マガジンハウス、リクルート・・・」なんて言い、一般の事業会社を受ける時は、「伊勢丹、リクルート、・・・」とか、何かと間に挟んでおくと、「なーるほど」と面接官一同が神妙にうなづいてくれて、とっても使い勝手のいい社名だったことを今でもよく覚えています。そんな私ですから、配属の希望はとにかく大型の広告が作れる新卒の事業部(現在のリクルートキャリア+リクルートコミュニケーションズのような感覚)。狙ったわけではありませんが、江副さんが立ち上げた長男事業。まんまと配属までは希望通りでしたが、職種が希望ではありませんでした。

モチベーションが下がり続ける”原担”の私。

その職種名は「原稿担当」。なかなかに、なんじゃそら?という名称ではありませんか。当時はバブル崩壊間際。仕事は飽和し、多すぎる仕事量を捌いていくために業務を細分化し、制作職の一部であった、お客様への原稿プレゼンと修正の回収から入稿までを行う職種として「原稿担当」を新設。そこに正社員をあてがうというトライアルの初年度(ではないか?)だったのです。名刺に書かれる職種名は「制作」がよかったのに!と当時、原稿担当に配属された同期と嘆き、原稿担当に配属されてしまった1年上の美人の先輩は、この職種名が「原担」と略されて書かれた書類が手元に届くたびに、赤いボールペンを出して「原稿担当」と赤入れしていました。なんとなく、他の「営業」や「制作」と比べると雑用係の匂いがするし、だいたい、意味も生していない。こうして、原稿担当の名をもらった若手社員たちのモチベーションはググッと下がったのでした。

さらに、この仕事は想像以上に難易度が高いのです。一見、“プレして回収”とアシスタントワークチックですが。そもそも、プレゼンの前日くらいに先輩の制作から原稿を見せられるまで事前情報はなし(社名くらいはわかるが)。そこで初めて意図を聞いて、お客様先に持っていく。万が一、ボツにでもなった日には大いに詰められる。とても、プレゼンの技術がいるのです(笑)。原稿が通ったにせよ、その後は修正のやりとり。それは、まだ良いとして、厄介なのが、当時、財務四指標を必ず掲載しなければいけないというルールがあったことです。しかし、非上場企業などでは、この指標を公開する義務はありません。あくまでリクルートが「学生のために」と決めた掲載ルール。ここでまた、ゴネるお客様を説得する。

なかなかいい感じの滑り出し。
でも評価はイマイチ…。

でも、思い返すと私。職種名は気に入らなかったけど、この仕事は結構、ラクラクやっていた気がします。どうやら自分から能動的に飛び込むのは苦手だけど、「火事場」には強いタイプなんでしょうね。先輩から預かった、見るからにとんでもない原稿を、足立区のはてにプレに行ったら、お客様が激怒!うちはこんな事業をやっているんじゃないと怒られ、途中まで「本当、この原稿、直してもらおっと」とひとごと感満載でうなづいていたら、なんと「明日が入稿日じゃん」と途中で察知。「なんとか、切り返さんと!」と話を聴きながら頭をひねりました。そして、一通り聞いた後に、にこやかに「でも、御社の事業って学生はどれくらい理解しているんでしょう?」と質問したら、「いやぁ、誰も知るわけないよぉ」と返答。「でしたら、事業を伝える前に、まず注目してもらうことが先決では?」と畳み掛けると「その通りだよね」と。「それで・・・この原稿です。」と。

そこはワニスという特殊なニスをつくる工場だったのですね。その新卒を募集するためのキャッチコピーは「わにざめの次です。」という、いかにもお客様が喜びそうもないものでした。

プレゼンのプロセスは本当はもっと複雑でしたが、ここでは割愛。とにかく帰り道は、お客様の満面の笑顔で見送られ、原稿は無事に輪転機へ!誰も知らない自分のだけのエピソードです。

私って、”つかみどころのない系”社員!?

それなりの、小さな快挙を重ねていても、会社ではなんとも見るところのないダメ社員。査定の時期には、「戸部は、査定的には平均点なんだけど、残業して頑張ってないから、一つ低い方にしといたよ!」と言われ、「おいおい、この会社は実力主義じゃないんかい?」と思ったけれど。たかが、半年の査定にピーピーいうこともないな、とやり過ごしたりしていましたね。
1年目の原稿担当時代の私は、今、自分が上司だったら、とにかく「扱いにくい子」。何考えているかわからないし、変なところに余裕を見せたり、意地を張ったり。わかりやすく、やる気を見せるガツガツ系の新人とも違うし、華やかにお客様の心を掴んでしまう同期の女子営業のような“見どころ”もない。コミュニケーションがとりにくくて、不気味な存在だったのだと思います。
こういう話を書いていると、「何考えているか、わかんない子」をもっと大切にしなきゃって思いますね。実は、私。自分とあまりにも似ているタイプは苦手なのかもしれません。

Written by
FUMI TOBE

CEO & CREATIVE DIRECTOR

代表取締役 クリエイティブディレクター/コピーライター 心理学科卒 91年 株式会社リクルート入社。ベンチャーから大手企業までの企業広告、ブランディングに関わる。2000年、クリエイティブディレクター/コピーライターとして独立。TCC会員。 【受賞歴】 東京コピーライターズクラブ新人賞/産業広告賞/福岡コピーライターズクラブ賞/東京コピーライターズクラブ ファイナリスト/BtoB広告賞金賞 など